Re Yourself

あなたの価値を取り戻すブログです。

広告としてのTwitter

ー広告としてのTwitter

Twitterの使い方は千差万別...だけれどもー

Twitterには第三者が常にいるー

ー新たな信用項目、ソレは人間かロボットかー

ー増加するステルスコンテンツー

ー自己理解情報リテラシー身につけた人物像ー

ー因果関係を見極めるー

 

ー広告としてのTwitter
Twitterは広告に最適化されたツール

事実でも真実でもない情報
かといって嘘でも虚構でもない情報がある。
それが広告。
言わば、
虚構と真実のミックス。
虚構と真実のハイブリッド。

広報にとって
セールストーク、コピーライティング、セールスライティングと呼ばれるものを駆使して、マーケティングとセールスを行っていく広報にとってTwitterSNSの中でも機能面が広報活動に最適化されているソーシャルネットサービスと言える。

無料で手に入る情報は
最も取得ハードルの低い情報は受信する人間の属性を広げ広くリーチすることができる。広告もTwitterも、観る側からすれば、無料という点も広告としてのTwitterにとって重要な要素だ、無料公開された情報は人を集める客寄せのための情報と言える。ドアノックツール、客寄せパンダ。

ツール(機能)そのものに意味はない。
Twitterの機能は公開リスト、非公開リスト、DM(当事者間のみの非公開のやりとり)、ツイート、リプライ、リツート、引用リツイート、写真、動画、ファボ、フォロー、フォロワー、ブロック、ミュートなど様々。
そして当たり前だが機能だけ取り上げて考えれば、その機能に意味付けをするのはそれを使う人間側なので、機能そのものに意味はない。
※ただしTwitter社による意図はある。
Twitter社のポリシーを確認する。

とはいっても、Twitterで頻繁に起きるアカウント間のやりとりに(称賛も貶しも、褒め合いも喧嘩もトラブル)があるのは事実。

◼️ものはいいようの世界
真実はない、ものはいいよう
どんなことに対しても同様の充分な説得力を持って肯定的に語ることもできるし否定的に語ることもできる。つまり、真の情報リテラシーを身につければ賛成意見も反対意見も第三の意見も表明することができる。選択権と創造権を駆使することができる。

◼️政治的営みとしてのTwitter

Twitterの使い方は千差万別…だけれどもー
◼️さまざまな使用用途
個々人でさまざまな使い方ができるのがTwitterの魅力の1つだ。
ステルスマーケティング、ビジネス、趣味、面白ネタツイート、政治的啓蒙、思想啓蒙、プロパガンダ、情報収集、プロレスを観る感覚、エンタメを見る感覚、何かを監視する、ライフログ、出会い系、友人とのやり取り、
よって
利用者のスタンスも目線も立ち位置もバラバラ。

メタ情報を見極めるのが情報リテラシー
そして一般的に広告と言えばソレが広告であると見た人にわかるように(PR)や(広告)(ad)チラシやポスターという形で見る人に対して「これは広告なので広告であるという目で見てください」というメッセージを送っているものだが、Twitterステルスマーケティング

◼️さまざまな利用者の意識、解釈、意図
重要なのは
「自分がTwitterを〇〇するツールとして使っているけれども、ほかの人はそうではない」
「自分がTwitterをこのようなつもりで使っているからと言って他の人も同じとは限らない」
という意識を常に持っておくこと。

◼️大事なのは想像力を発揮する事

決して、自分はこのように使っているからこのアカウントを運営している人も同様だろう、と根拠も論拠もない思い込みをしないこと。
とりわけ何か感情的になる場面ではなおさら。

これは根源的には現実空間と同じで、
最も重要なのは「想像力を発揮する」ということ。
ex.私はTwitterで本音を言っているけれども、このアカウントを運営している人は広告として発信しているかもしれない。

◼️Twitterで起こる事は個人問題でなく現象
結論としては、
個々のアカウントを運営する人間の性質に原因があるということもさることながら、
それ以上にTwitter機能の特性と人間の性質が交じり合うとそのような現象が起きやすい、と言える。この誘発しやすい環境状況にあることの自覚が大事。

Twitterの機能上の特性×一般的な人間の性質=Twitter上の現象ということ。

◼️クソリプの発生原因

背景、前提、意図を共有していない場合に起こりやすい、そしてTwitterの機能的に共有してしづらい環境にある。Twitterをどのような目的を推進する手段として解釈し扱うか、は個々人によって異なる、コミュニケーションの前提となる文化や解釈が共有できなかった時、それが相互でかみ合わなかったときに起こる誤解。話の前提を共有できていない。
この場合の前提とは
言葉に付随する辞書的意味合い意外のイメージ(ポジティブ/ネガティヴ)や印象。
発信者の発信意図であることが多い。
あるいはある意図を以て発したツイートに対して意図通りの反応がなかった時、クソリプと呼ばれる。

◼️リプライに含まれる属性
称賛、共感、指摘、質問、批判、補足
感想、など
悪意意図として解釈される
善意意図として解釈される

Twitterには第三者が常にいるー
Twitterは第三者(閲覧者)に向けて発信されている。

Twitterにはオーディエンスがいる。
※第三者、閲覧者、観客、審判
Twitterに関する機能とその活用はすべて閲覧者、受信者、第三者、オーディエンスがいることが大前提で行われ、あらゆる広告、営業、やり取り会話、主張はその大前提を意識し、発信者はいわずともそれらにメタメッセージで訴えかけている。
だからこそ集客(フォロワー)獲得がTwitterでは最重要課題とされている。
Twitterは店の看板、
繰り返しだけど、
広告に嘘も本当もない
Twitterは文字のCM
フォロワー数どで権威性を誇示できる。
ツイートは広告
アカウントは広報
として目的合理性が高い
①拡散性が高い
サブリミナル効果が期待できる
③魅せることに特化している
④タイムラインの性質上1つのツイート内容を検証されづらい
⑤ゆえにキャッチー
⑤会話や関係性を魅せることでコミュニティの活性度をアピールできる

◼️狙いは関心を自分に向けさせること
まず最初の至上命題は
閲覧者からお金を取ることではなく、
閲覧者に自分に対して関心を向けさせること。つまり、気をひくこと。
だから目が離せない状態を作り、
そのために演出する必要がある。
お金よりも時間が大事だから、
他人から時間を費やしてもらうためにあらゆる手段をとる。
※関心
興味、関心、時間などのコストを払うこと

◼️Twi得意分野(サブリミナル効果

◼️Tw得意分野(社会的証明をアカに付与)

人は他の人から求められている何かを求める。
・人は沢山のほかの人から求められているものを求める(量)
・人は権威のある何かから求められているものを求める(質)
・人は自分と似ている状況の何かから求められているものを求める(同質)
ex.エゴサーチで自分の良い評判を探し見つけリツイートする

対面でのコミュニケーションとは状況が違う。リアルでのやりとり一対一でのやりとりとは絶対的に異なる条件の下コミュニケーションがとられているということはとても重要。SNSTwitterでの営み、この事実はそのすべてに影響を及ぼしている。

◼️Twの不得意分野(信用)

フォロワー含めTwitter利用者に何らかの形で認知されなければ意味がない、
逆に言えば認知されなければ他での信用
(約束を宣言し、その約束を守る)

信用が大事だと言われるげんだい、エンタメ的な注目や関心を集めることはできるが、本当の意味での信用は実は築きづらい。

◼️Twitterの不得意分野(謝罪)

リアルや一対一ではよくみられる「謝罪」
これがかなり少ない。
三者、閲覧者に向けて常に自分の存在の正しさを訴求しているので、公衆の面前で誰かに謝罪することは権威の失墜を意味する。やりとりする相手ではなく、それを閲覧している第三者にメタメッセージを送り訴えかける。
キレる、無視する、社会的証明を推し進める。社会的証明を強烈に推し進めることにより、
人の集まるところに人が集まり、
カネの集まるところにカネが集まり、
女の集まるところに女は集まり、
男の集まるところに男は集まるので
謝罪という自分の弱さと情けなさを演出する恐れのある行為はかなりす少ない。
一方で、社会的証明をポジティヴに推し進める「褒めることで利害のある利害関係を作り出す褒める」はよく見られる。

◼️広告としての単独ツイート

ターゲティングが行われている。
全ての人に向けられた商品がないように、
全ての人に向けられたツイートはない。
①特定の人物像を想定
②仮説を立てる
「特定の人物像はどんな属性を持つか」
③仮説に基づいてその属性を持つ人物に対して強い影響を与えるツイートをする。

ツイッターは広告。
その行動の中に悪意も善意も、感情も、論理も含んでいる。
その中のどれを摘出して、何を主張しているのか、で
話者のポジションがわかる。
ツイッターは、ツイートは広告なんだから矛盾や指摘される粗があるのが当たり前だろう。

ツイート
→広告、自分で自分を取材する、見せたい所だけ魅せる。そして自分にとって好都合なアカウントを引き寄せるためのスクリーニングも行える。
予想は情報を集めてそう判断したのか、あるいは煽動か、希望的観測か。
「今何してる?」
「今どう感じてる?」
「何を考えてる?」

■他人に認知させることができるもの
文章、引用文章、場所、看板、写真、動画、背景、フォロワー(被リンクのようなもの)、フォロー(リンクのようなもの)、リスト(非表示可)、会話

これらはスタンドアローンならば広告としての効果はない。
例えば個人のスマホに入っている電話帳の名簿に広告の効果はない。
広告の効果は
「他人に認知させる他人が見える場所に他人に見せる場所に置いてあるということ」が重要だからだ。

◼️広告としてのフォロー
見える事に意味があるから
見られる事に意味があるし
見せる事に意味があるので
見せられてる事にも意味があるんだろう

■広告としてのリツイート
→折り込み広告、ほかの人もそう言ってるよという思想の拡大、社会的証明、エゴサーチ(自分で自分に関する情報を収集する、主に評判を選定するために行われる)等による選択された口コミを魅せて演出。

◼️広告としてのリプライ(会話)
→会話を魅せることで、このコミュニティの盛り上がりをみせ「こんなに素敵で熱量あって楽しい人達の仲間、環境になりたくない?」というメタメッセージを演出できる。
まず自分のいる界隈の素晴らしさを伝えて「あっち楽しそうじゃん、行ってみよ!」を喚起させないとね。
→社会的証明をアピールできる。ほかの人からどう思われているか、
魅せる会話、マスマチュアルコミュニケーション(造語)。
メモ:プロレスと観客

 

 

 

 


ー新たな信用項目、ソレは人間かロボットかー
◼️そもそもそのアカウントは人かロボットか

それは
・本当に起こった出来事なのか
・本当に実在する人物なのか
・それは人間か?ロボットか?
・現実か?空想か?
は今後、どうでもよくなっていく。

☑️そのアカは、個人or法人か?
→個人→☑️単独or複数人か

☑️そのアカにbot機能は組み込まれてるか?
→一部
→全て
→過去にbot形跡あり

運用人格とweb人格の乖離はどの程度か

究極的には、本当に起こったことなのか本当に実在する人物なのか、はどうでもよくなり刺激と共感というエンタメだけだ切り取られて共有されるようになる。人は幻想という真実を人の数だけ量産し、他人の作った素材で自分で作り上げた真実らしさ、確からしさから出ようとしなくなるのではないか??もはや(PR)とか(広告)とかどうでもよくなっていくのではないか。他人で自分を作り上げることのリスクは上がり続ける。

ー増加するステルス性コンテンツー
 ◼️メタ情報は不可視化される

フィクションとノンフィクションの区別
それはフィクションか、ノンフィクションか、リアルかファンタジーか。
それともステルス性フィクションか。ファンタジー漫画、映画に似ています。ナルトもワンピースもHUNTER×HUNTERドラゴンボール指輪物語ハリーポッターも、ミッキーマウスも実際には存在しません。

演技としての没入。
没入してリアリティーを感じているかけども、俯瞰的にそれが幻想でフィクションでご都合主義のファンタジーであることも同時に自覚しているわけです。
つまり、嘘であるとわかっていながらそれを本当であるというポジションで没入することができる。それが楽しむということ。

ステルスコンテンツ
マーケティングというものがあります。端的にいうと「これは広告ですよ」とメタメッセージを言語化して伝えずに広報活動することです。それと同じことがフィクションにも起きている。パッケージに記載されなくなった。

フォロワー数は信用ではなく関心。
もはや事の真偽とは関係ないなら、
それはもはや「信用とは別の何か」なので、そもそもフォロワー数は信用基準でもなんでもない。信用する/信用しないという判断の以前にそもそも、「○○として信用する」というステージがあります。
①これはファンタジー映画である
②このファンタジー映画が面白いものであるということを信用(期待)してカネを費やして映画を見る。
①の部分が不鮮明で定かなのではなくなっている。
ソレが虚構でも真実でもどちらでも構わないという前提でコンテンツを見たとき、それはエンタメになる。
本気で向き合わない、エンタメとして娯楽として劇として消費するに至る。

重要なのは事の真偽ではなく、単なる面白さ。事の真偽は重要ではなくなる。

ー自己理解と情報リテラシーを身に着けた人物像ー
◼️ 「僕は”それを信じる自分”を信じる」
外部情報に対するスタンスは明確。
「僕は”それを信じる自分”を信じる」である。
けっして
「僕はそれを信じる」ではない。

ー因果関係を見極めるー
僕も仕掛ける側の仕事をしているのでよくわかるのですが、あるテクニックを駆使することで因果関係が成り立ってない現象に説得力を持たせることができます。本来全く関係のないことに、さも関連性があるかのような解釈を相手にさせることができます。そしてなぜか相手が納得してしまうという現象が起きます。
発信する側も受信する側もなぜ納得したのか、論理的には説明できないけど、なぜか納得するんです。

◼️イエスセット
本来因果関係のない事柄を、さも因果関係があるかのような説得力を持たせて相手を説得する技術。
①イエスと答えやすい質問や共感を求める言い回しをする。
②①を幾度も繰り返す。
③結論との共通点をとなる話をする。
④結論を提示して質問や共感を求める言い回しをする。

原因→結果
理由→結論
※結論や結果
はもちろん発信者の意図した思想や行動に受信者が則ることです。

原因と理由に、
「イエスとしか答えられない説得力抜群の話を盛り込みまくる」
「自由になりたいですよね」
「人間関係って信用がだいじですよね」

※注意すべきはこの時の自由や成長などの抽象的なビッグワードの意味は人によって違うということつまり、受信者は発信者の発言に共感、同調しているように見えるけども、実際は同じものことを共有していない。にもかかわらずそこをすり合わせせずに共感、同調してしまっている。
「あなたのいう〇〇って具体的になんですか?」
「あなたにとっての〇〇って具体的になんですか?」の質問がすごい大事。

理由の元になる事実に共感できる。
さらに結論の主張にも共感できる。
けど
それとこれとはなんも関係なくね!?
自己啓発的メッセージを駆使してこちらの思考を停止させにくるイメージ。

途中までその話は納得できるけどらなんで急にそうなる??
理屈の飛躍に、注意すれば、面白い発見があるかもね、